共通課題:各自の課題が、分量、てだて等を考え、達成可能なのかを確認し、全員がゴールすることができる。 時間は8:18までの60分間。ということで取り組みました。
ゴールに到達できたのは3名に終わりました。ただ一通りやっただけでは達成できない課題になって来ていることもあり、やる分量が多すぎて達成できない者が何人も出てしましました。このことを克服して、次回は取り組んで欲しいと思っています。
休憩後、資料を基に人生の中の「大きな石」一番大事なことは何かかを考えました。
使った資料は、FBにあったものですが、
ある大学で、こんな授業があったという。
「さあ、クイズの時間だ。」
教授はそう言って大きな壺を取り出し、教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ石を詰めた。壺が一杯になるまで石を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツ一杯の砂利を取り出した。
そして砂利を壺の中に流し込み、壺を振すりながら、石と石の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを石と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれで一杯になったのか?」学生は声を揃えて、「いいえ」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのか、わかるだろうか?」一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込む事は可能だということです。」
「それは違う。」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、大きな石を先に入れない限り、それが入る余地は、その後二度と無いという事なんだ。」
君たちの人生にとって”大きな石”とは何だろう、と教授は話し始める。
子供たちからは、夢、希望、愛、等が出てきました。
本日の共通課題:みんなが、6つの文章の①から⑥まで番号をふり、意味が通るものにすることができる。
その文章は、
( ) 息子は、入院しました。
( ) タンクローリーが、ある男性と、彼の息子をひきました。
( ) 彼の身元を、病院の外科医が確認しました。
( ① ) 路上で交通事故がありました。
( ) 父は、即死です。
( ) 外科医は、「息子!これは私の息子!」とおののきながら叫びました。
これを出題した意図は、外科医が男性であるという思い込みの者がいるので、皆の意見がなかなか一致しない。必然的に男女が相談し合う場面ければならない場を設定したかったということ。
みんなばらばらで、「私が答えを言おうか」との投げかけに思惑通り、答え言わないで欲しい、話し合わせてくれということになった。
個人の課題は、分量を意識して取り組もうという様子がうかがえた。一人時間がなくなってしまった者がいたが、それに対する対応も話し合った。
本日の共通課題は、「みんなが、各自の課題の分量、てだて等が適切であるのかを確認し合い、GOALすることができる。」としました。途中10分館の休憩をはさんで正味90分で行いました。6名中一人ゴールにたどりつけない者が出てしましました。
「みんな」が、という言葉の意味について再度話しました。本日出席した6名はもちろんですが、休んでいる人も含めての「みんな」であることを。このことについては、何これからも折りに触れて語っていく必要を感じています。
本日の共通課題は、シンプルに、「みんなが、各自の課題を90分間で達成することができる。」全員自己評価が◎でしたが、異議が出され1名は○に。「完全に理解できる」としてあるのに
完全ではないと言われ訂正。生徒の評価の感度が少しレベルアップ。というか本音で少し語れる雰囲気が醸成されてきているということでしょうか。
本日の課題は前回と同じ。出席者4名であったが、これだけ集中しての取り組みは今まで出一番だったかもしれない。他だし『学び合い』であったかというと怪しい状態であった。
本日の共通課題は、「みんなが、各自の課題を90分間で達成することができる。」出席社5名。達成2名。未達成3名。課題の難易度」、量がしっかりと把握できていなかったり、その内容について仲間の者を本気で検討していないことが判明。このことを皆で共有し直すことが必要。
参加していない中学3年生の保護者が顔を見せ、じっくり相談したいとのことで、来週の火曜日に相談の時間を設定。こうした相談にこそ親身になって対応して行きたいものです。