基礎・基本の充実が叫ばれ、「学力」の向上、その上にいじめ・不登校の克服を図ることが課せられている。同時に勤務時間の縮減が要請されている。ますます仕事に追われ、余裕を失い、授業の改善が必要だと考えても、多くの学校ではそれに対する効果的な改善策を見いだせないでいるのではないでしょうか。
授業改善が大事ということに異議を唱える人はまずいないと思われます。ドリルの時間を確保したり、一人一授業公開を求めたりしている学校も多い。また自分の課題を定めて教師の自主性に授業改善を委ねたり、生徒を主体とした授業に転換しなければと願ったりしているが、必ずしも思うような成果となって現れていないという話もよく聞きます。
このような厳しい状況を打開できるに違いないと考え現職で最後に勤務した生坂中学校の時代に取り入れたのが、上越教育大学教職大学院教授の西川純先生が提唱し、現在『学び合い』と呼ばれている考え方でした。
「大人になってから必要な能力は、いろいろな人と折り合いをつけて自分の課題を解決できる力であり、学校で集団生活をする意味は、計算を速くできることやきちんと漢字を書けるようになることではなく、それ以上に大事なこととして、どんな人とでも付き合える能力を獲得することである」と先生は語る。そして、「人間関係づくりと学力の向上が不分離のクラス作りを、学校教育のほとんどを占めている教科学習の時間でやろう」というものです。
私は、自分の力が足りない、自分の努力が足りないとずっと思い続けてきました。それは自分がどんなに時間を超越して頑張り、いくら細かな手立てを尽くしても、結果として切り捨ててしまう生徒を生み出してしまったことです。私が、初任の頃からずっと先輩方から指導を受け、また自分でも行ってきたことなのですが、どうしても腑に落ちないことがあった。それは、我々が頑張ってお膳立てすればするほど、子どもたちが自主性を失い、受け身になってしまうというのではないかと思うからです。
私が『学び合い』を選択した大きな理由は、第1に生徒が受け身の学習から脱却し、生徒のやる気を引き出し、自分で責任を持って考えて行くことに結びつきそうだということでした。第2の理由として、今まで考えも及ばなかったことであるが、教科の授業時間の中で人間関係づくり、学級づくりが可能であるという考え方に対してでした。第3の理由として、教師一人がどんなに頑張っても不可能に近いことが、生徒同士の学び合い、支え合い、教え合い等で解決できる可能性が劇的に高まり、その上生徒の学力の向上にも結びつきそうだということでした。