1998年の10月の発行なので、ざっと、15年も前の本であるが、BOOK-0FFで税込み105円で買ったものの1冊です。
尾木直樹さんというより、テレビで引っ張り箱の「尾木ママ」といった方が通りそうです。
大見出しだけ列挙すると、
〈プロローグ〉
市民の学校不信も限界・・・学校に「満足」はたったの三パーセント
Ⅰ スクール・クライシス・・・その実態と背景
1 学校という名のサティアン
2 教師と子どものズレ
3 今日の学校問題の背景・・・国際化・情報化の中での「博物館」
Ⅱ 子どもを守れぬ家庭と社会
1 家庭での子どもの生きづらさ
2 街へ溶け出す少女たち
3 「生きる力」を育てる意味
4 確かな指針を示せない専門家
5 いじめ問題の課題
Ⅲ 学校は再生できるか・・・子どもを主役に
1 主役は子ども、教師はパートナーだ
2 古い教育方法の問題点と新しい視点
3 今、元気印の学校は
4 新しい「学校民主主義」の可能性
5 市民としての教師論
あとがき
後がきの、ほんの一部だけ紹介させて頂きます。
【引用開始】
(前略)・・・・私の提案は、政治体制を変えなければ実現できない内容ではない。今日の政治体制のもとでも、どこでもできる学校システムなのである。その際に重要な視点は、これまでの学校の〝自明性〟を疑い、思い切って逆転させてみることだ。それくらいの勇気がなければ、希望も展望も見えてこない。
では、学校システムをいかに転換すべきか。これには三つ考えられる。一つは、閉鎖的、自己完結的な今の学校を激動する社会に開き、市民社会とかみ合わせることである。二つ目は、カリキュラムを徹底して「個」に密着させることだ。三つ目は、学校空間を強制的共同体としての生活空間から生徒の自己決定による〝選択的共同広場〟へと方向転換することだ。これらの転換が進んだとき、改善の具体策は真に効力を発揮するだろう。
子ども観や学校観、実践観も当然見直すべきだ。キーワードは、次の五つである。
①「子ども市民」とのパートナーシップ
②「学校民主主義」の熟成
③「自己決定能力養成プログラム」の確立
④「メディア・リテラシー」の育成
⑤「体験」の重視
とは言っても、そんなに肩に力を入れて力む必要はない。子どもや父母・市民とともに、気楽にディスカッションを楽しみながら模索すればいいのだ。(中略)・・・・
本書で論じてきた学校再生への模索は、そのまま私たちの人間性の回復と安心できる「今」を築く確かなステップになって行くに違いない。だから、子どものためというよりも、がんばりすぎ、疲れ切った我々大人自身のために、子どもの新しい智恵と楽天性を借りながら、学校と教育づくりを愉しみたいものだ。(後略)・・・・・。
この本を読ませて頂き、表現は少し異なるが、基本的な考え方は、驚くほど西川純先生提唱の『学び合い』の考え方と重なってくるのだ。『学び合い』は、「尾木ママ」の考えを、教育再生のためにより研ぎ澄ましたものとなっている、と私には感じられるのです。
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