『学び合い』実践にあたっての心得というか、配慮した方がよいと思われること   2013-04-29

学び合い』を実践しようとしたとき、どうすればよいのかを考えて見ます。学校ぐるみで取り組む場合は別として、自分一人で実践する場合を考えてみます。

小学校の学級担任と中学校や高校等の教科担任や小学校でも理科や音楽等の場合とでは、少し別に考えた方がいいかもしれません。

【小学校の学級担任の場合】

・基本的に小学校では、ある程度信用されている場合は、他のクラスに迷惑をかけたり、足並みを乱したりさえしなければ、何をやろうと普通問題になりません。でも単学級の場合はともかく、学年主任の先生や同じ学年のメンバーとは人間関係を良好に保っていくことが求められるのではないでしょうか。この人間関係ができていないで順調にことが運ばない場合には悲劇が起こりかねません。教育に対する考え方というより、まず普通の人間としてのあり方が求められます。

・管理職や同学年の職員が好意的に受けとめてくれる場合は別ですが、一般的には、『学び合い』ということばを使ったりすることは避け、人間関係づくりを大事にして、課題(めあて、学習問題)等の設定を大事にして、子ども達が関わり合うことの時間を大事にしたい位にしておくのが無難だと考えています。

・年配の教師の場合、授業の中で子どもたちに多くをゆだねることに関しては、「はいまわる教育」といって、理想ではあっても、教師の力量が相当なかったり、周到な準備がないとうまくいかないと考えるのが普通ですから。

・(長野県に限らないと思いますが)人間関係作りを大事にし、総合学習などを中核にしてきて、今でもそれを踏襲している学校が結構ありますが、そういう学校があることは知っていても、教科の学習の時間の中で人間関係づくりを行うという発想は、にわかには信じてもらえません。

・「いい授業」とは教師が相違工夫を凝らし、至れりつくせりの配慮をしたものであるという考えが色濃く残っており、子どもたちを信用して任せるなど、理想ではあっても、できるはずがないと受け取られてしまうのが普通です。

・「学級づくり」、「クラスづくり」をするには、最初から厳しくしつけて授業を(教師が)しやすいようにしておかなければ、子ども達になめられると考える方が結構多いようにも感じます。このことより人間関係を結ぶ、安心して学べる、生活できるということを優先させたいのですが、その際に、どういう行動が他者から見て眉をひそめられることに繋がる可能性があるのか(例えば寝転がったり)を語り、そうならないようにと徹底させることも状況によっては大事に考えたいです。

・いずれにせよ、常に相談できる方、連絡できる方を作っておくことが必要です。

【小学校の理科等の専科教員の場合】

・学級担任が自分のクラスだけで行うのではなく、多くのクラスに対して実施できるのでかえってやりやすいという報告も聞いています。

【中学校や高校などの場合】

・少人数の学校で、一人で教科を担当している場合は別として、他の同教科の方と学習の内容や進度を乱すことは避けなければならない。中学等で中間や期末テストなど学年で同じである場合は特に配慮が必要です。学期を通したり、年間で考える場合は時間の余裕があるのですが、いきなり本格的に『学び合い』をやろうとする場合、初期の場合だけなんですが、丁寧にやろうとして時間が足りなくなる恐れもあるので、進度が遅れないようにを大事に考える必要があると思います。

・中学や高校の場合、一般的に考えると進学ということが大きなネックになり、受験勉強もチームワークであることを理解していただくのがむずかしいのですが、単元テストの学習や定期テスト直前の機会などを捉えて、学習も個人戦ではなく団体戦の考え方の方が優れていることを訴えることは有効であると考えています。また、有効的な『学び合い』のスタートの仕方一つであるとも考えています。

・中学、高校と年齢が高まっていくのにともない、学習の能力も高まっていくので、いくつかの関門をクリヤーして取り組めば、より質の高い実践に繋がる可能性があります。このことを信じて取り組みましょう。

 

思いつくままに書いてみました。ご意見下さい。