□■【教育記事から教育を考える】 2011年1月27日(金)作者:中土井鉄信
VOL.421(合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表)
『今日のテーマ』授業の基本をまずは高めること!
(朝日新聞の第60次教研集会の取り組み記事(省略)を紹介して)
作者:中土井鉄信氏のコメント
<引用開始>
◇今回の記事になるような取り組みは、非常に重要だと思うが、その前に、日頃行なわれる通常の授業の質的向上に目を向けてほしいと思う。昨年、ある私立高校の教員採用で模擬授業を60件近く見たが、授業の基本ができていない方が非常に多かった。
◇子どもたちは、一日の大半を学校で過ごし、そのまた大半が、授業時間だ。子どもたちにとって、通常の授業の時間が、非常に重要なことは言うまでもないことだ。ぜひ、授業スキルの向上についての議論がいたる所の学校で、起こることを期待したい。
◇その際に、授業スキルの前提になることを少し挙げておく。昨年出した私の本でも書いたのだが、授業の中における基本的な教師と生徒の関係についてだ。
◇授業スキルの前提は、教える-学ぶの関係をどう考えるかだ。現象的には、教える側(教師)が学ぶ側(生徒)よりは、権力関係は強いと思われがちだが、実は、本質的には学ぶ側(生徒)が教える側(教師)よりも、権力関係は強いのだ。この点をしっかり理解することが大切なことだ。
◇教える行為は、学ぶ者が、教えることを受け入れて初めて成立するのだ。学ぶ者が、この授業は学ぶ価値がないと判断すれば、授業に静かに参加しているように見えても、全く聞いていないか、他のことを考えているかしていれば、教える行為は成立しないのだ。このことを念頭に置いて、授業スキルの向上を考えてほしいものだ。教師は、学校にくれば当然子どもたちは、勉強するものと思っているがそうではないのだ。授業の基本をまずは高めることを進めて欲しい。
<引用終了>
maya-1のコメント
□ 最後の段落「教える行為は、学ぶ者が、教えることを受け入れて初めて成立するのだ。学ぶ者が、この授業は学ぶ価値がないと判断すれば、授業に静かに参加しているように見えても、全く聞いていないか、他のことを考えているかしていれば、教える行為は成立しないのだ。このことを念頭に置いて、授業スキルの向上を考えてほしいものだ。教師は、「学校にくれば当然子どもたちは、勉強するものと思っているがそうではないのだ。」をしっかりと受け止めたい。
□ 研究授業や年何回かしか取り組めないような特別の取り組みでなく、日頃の授業改善に結びつくようなものでありたい。この点で、『学び合い』は極めて有効であると思う。
□ もし実際に授業を参観し『学び合い』の考え方はすばらしいと受け止めてもらえたとしても、どのようにしたらそのような状態に持っていけるのか見通しがつかないという方も大勢おられるように思う。
□ 初期の状況に至るのは比較的たやすいのだが、それを維持し、発展させて行くには一筋縄では行かないという意見もお聞きする。これらの方に対応できる道筋というか、『学び合い』の心得の様なものを明確にしていくことが求められているのだと感じています。特に校内でおひとりで実践されている方やこれから実践してみようとしている方の道しるべとなれるように努めたい。
下記は、第1回 『学び合い』川中島の会のご案内です。
http://rika.shinshu-u.ac.jp/misaki/20110306.pdf
『学び合い』川中島の会の申し込みです。