私が、佐藤先生の授業を参観させていただいた日のことをはっきりと覚えています。同僚の社会科教師N先生を連れだってでした。それは今から4年前の平成19年1月30日のことでした。篠ノ井線で長野駅に出て、そこから長野新幹線で高崎駅で乗り換え、上越新幹線の本庄早稲田駅に降り立ちました。makine45さんの車で会場校に向かいました。
参観させていただいたのは、6年生2クラスの社会科の授業でした。西川先生のHPの中にその時の授業も含めてありますので、是非そちらをごらん頂きたいです。
冒頭1分くらいの説明。大勢の参観者の方が見えているのでM小が頑張っている様子を伝えられるように頑張ってください。図書館へ行く人は、目当てを書いて見せてから行ってください。の2点だけです。
子ども達は思い思いのものと席をくっつけ合って課題解決のために動きます。佐藤先生は、時々生徒に声をかけるたり、何かメモをしていることもありました。直接に子ども達に働きかける場面は一切ありませんでした。
また2クラスとも微妙に違う雰囲気が印象的でした。
授業後に、昼食をとりながらの授業後の検討会は、西川先生が進行役を務めて、様々な質問が出ました。私がどうしても理解できなかったのが、1年もたっていないのに、小学生が自分の追求に打ち込んでいる姿に変容していったのかということでした。つまり、どういう経過や指導があったのかが、今までの自分の世界では説明がつかなかったのでした。佐藤先生の授業は、社会科というよりも、国語的な授業に思えたなどと失礼なことも申してしましました。一緒に動向したN教諭とも話しましたが、「うちの中学生では歯が立たない。何とか参考にしてみたい」という思いは共通だったと思います。
後に分かったことですが、西川先生のHPに佐藤先生のメモが掲載されたり、先ほども触れた一連の映像をみて、なぜあのような子ども達に変容して行ったのかがある程度は分かりました。一言で言えば「子ども達を信頼しきって、子ども達を見守り続けている佐藤先生の存在」ということでした。
同行したN先生は、当時2学年の担任をされていましたが、約1ヶ月間自分のクラスで試してみて、手応えを感じ他ということを後で知りました。そして平成19年度は年間を通して社会科の授業を『学び合い』の考え方で行うことになりました。このことが1中学校が学校として『学び合い』に取り組むことに繋がって行ったのです。
makine45さんは、上越教育大の現職院生として西川先生の元で研修している際、在籍校の佐藤先生のクラスを借りて研究をされたのですが、その様子を見て想うところがあり、佐藤先生が『学び合い』に打ち込んだということだそうです。6月11日は、埼玉の会が予定されています。佐藤先生のお話がメインの会のはずでした。その代役はmakine45さんが努めていただけるはずです。11日は佐藤先生の目指したものをもう一度確認してみたいです。
「神戸の会」のことを書く予定でしたが、気が動転しながら書かせていただきました。
生坂では、土砂崩れがあり、120戸が孤立し、国道19号線も土砂流出などもあり、本日学校は休校、職員も自宅待機です。