実際、現在学校訪問をされ、現場に入っておられる何名かのお話をお聞きすると、とにかく「授業をちゃんとやるしかない」、「生徒や児童の気持ちをふまえた授業になかなかならない」、「この授業で何を身につけさせたいのか不明の授業が多い」、「学級づくりが大事だと思うという声は聞こえるのだが、どうかしたらよいのかわからないでいるようだ」、・・・・。
そして、教員の多くが授業をきちんとしたものにするためには、人間関係づくり、学級づくりがその土台になければと大方の方がとらえているのだと思っています。
私は、行事や特別活動の時間などだけで、「学級づくり」・「人間関係づくり」を成立させるのはきわめて厳しい状況だととらえています。長野県では伝統的に人間関係づくりを大事にしようと、時間を惜しげなくつぎ込んで来ましたが、それが次第に難しくなってきています。また、子ども達が自己有用感を感じられない理由はいろいろあると思いますが、残念なことに、「授業が分からない」、「おもしろくない」、「こんなことやっていったい何の役に立つんだ」等の、子ども達の訴えに応え切れていないことが原因だと考えています。
私が、この子どもたちの訴えに応えるものとして『学び合い』の考え方に期待したわけです。それは今から6年前のことです。
最初、佐藤学先生の「学びあの共同体」の「学び合い」に出会った訳ですが、私や私の所属していた学校の教員にとって、ハードルが高いのではと考えて西川純先生の『学び合い』に傾倒していったわけです。
『学び合い』が教育改革、授業改革の切り札だという考えは、今も変わりありません。