もし、「一人も見捨ててはいけない」ということで、『学び合い』の初期段階で、教師の目指しているもの、教師の願いが十分に子供たちに伝わっていない段階で、子ども達に誰も見捨ててはならないと強いてしまったとしたら、子ども達に責任を負わせてしまったとしたら、望まない結果が生じてしまうのではないでしょうか。
私のブログの冒頭には、
誰も見捨てられない教育をめざして
教科の授業の中で行うソーシャルスキルトレーニング
それが 『学び合い』
『学び合い』は、人間関係づくり+学力アップ
とあります。
私が考える「一人も見捨てない」は、子ども達の誰もが、見捨てられていないと感じられることと考えています。
「一人も見捨てない」は、あくまでも究極の目標、ねがいであって、それを子ども達集団の責任に転嫁してはならないと思います。安心して生活できる集団、安心して学習できる集団を達成するために、集団の中で何を大事にしていくのかの共通理解を図っていく営みのことだと考えています。
そこでブログの冒頭の表現を少し直すことにしました。
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