『学び合い』に期待すること 2009年2月7日

 

学び合い』を導入しようとした最大の理由は、人間関係の再構築に大きな役割を果たせそうということでした。

しかも、人間関係作りが、特活、道徳、「総合的な学習の時間」や行事等を通してでなく、 教科の時間の中で行えるということでした。

 

実際にいくつかの授業を参観させていただいたり、本校の先生方の実践や

この『学び合い』のメンバーの実践などからたくさん刺激を受けています。

私が、30数年間ずっと残念に思ってきたことでもありますが、

常に、分からない、納得できないままに授業を行ってきてしまった。

どんなに手を尽くしても救えない児童・生徒を出して来てしまったと言うことです。

自分の努力がまだまだ足りない、教材研究が不十分、自分には教師としての力量が足りないと思ってきました。

しかし『学び合い』に出会い、可能性を信じて頑張ろう等と語っても、

子どもを信じ切っていなかった自分に恥ずかしくなりました。

自分がその典型でしたが、意味も分からずにただやらされることには我慢できませんでした。

私の小学生時代宿題は一切やらないし、居残りの日々でした。自分の力を信ずることができずに、

「どうせ自分はだめな奴だ」「自分にはできっこない」とあきらめてしまっていたのは私だけではないと思います。

願いを本気になって語り、何を、どうやるかを任せれば、生徒が生き生きと活動することは証明済みです。

しかし、よかれと思って懇切丁寧にお膳立てし、手助けしてきたことが、生徒の自主性を奪っていたのだとすれば・・・・。

定年退職まで、1年とちょっとです。自分が方向転換するのが遅すぎましたが、残された時間にできるだけのことをしたいと思います。